六十四目の地平の果てで





  白の騎士
  其は偉大なる女王に仕え
  白の騎士
  其は彼の少女を助く


「…斯くて騎士は、可憐なる少女を助け、
 別れを惜しむ少女の振るハンカチーフに背を向けたのじゃ。」

馬上の老人が、堂々と胸を張り、
いつのものとも知れない、よくあるお伽噺の暗唱を終えたので、
僕もやっと、噛み殺した欠伸の数を数えるのを終わらせた。

「えっと、それで、街にはどう行けば…?」

感涙に咽ぶかのように空を仰ぎ見る老人に、
僕は何度目ともしれない問いかけを、半ば諦めながら投げかけた。
それでも、闇雲に進んで森の中で迷うよりはマシだろうから。

老人は、馬上でゆっくりと視線を巡らせ、
たった今、ここにいると気付いたかのように僕を見下ろした。
カランと、馬に括り付けた兜と鍋がぶつかり合って音を立てる。

「…ふむ。」

老人は、穏やかな目で僕を見下ろし、
考え深そうに一つ頷くと、軽く顎を撫でた。

「偉大なる君主に忠実たる騎士は、
 大いなる勤めに旅だつ。
 彼の慕う女王陛下は眉目秀麗気高き淑女で、
 彼の活躍を大いに期待した。」

老人は、馬上で背を正したまま再び前を向き、
静かに目を閉じると、少し頭を仰向けて、
堂々と暗唱するように語りだした。

「………3回目。」

僕が斜め下の地面を見つめこっそり呟くと、
老人は片目だけ開いてこちらを見下ろし、
また顔を上げて目を閉じると、一呼吸置いて続けた。

「騎士は多くの民に見送られ、
 色とりどりの旗と、完成と、
 可憐なる娘らのハンカチーフに背を向け町を後に…」

何度目かの溜め息をつき、途方にくれていると、
老人は詠唱を途中で止め、片目だけ開けてこちらを見下ろす。

僕が慌てて居住まいを正すと、もう一度目を閉じ、
背筋を伸ばして口を開く。

「ハンカチーフに背を向け町を後に…」

また、片目を開けてこちらをちらり。

「ハンカチーフにっ」

きょとんとする僕に、今度は少し、語気を荒げて。
その目が、催促の色を示しているのに、
幸か不幸か、僕は気付いてしまった。

ハンカチは、ポケットに入っている。
けど、僕は可憐な乙女なんかじゃない。

僕は迷った。
こんな訳の分からない老人にはもう構わずに、
このまま、どこか当てずっぽうに進んでしまおうか。

いや、相手は馬に乗っている。
老人に劣らず老いていそうな馬ではあるけれど。
追って来られたらやっかいなんじゃないだろうか。

視線を逸らし、考え込んでいると、
老人は再び口を開いた。

「ハンカチーフに背を向け、街を後に…
 ハンカチーフに背を向け、街を後に…」

どうあっても、僕にハンカチを振って欲しいんだな。
なんだか脱力してしまって、諦めた僕は、
ポケットからハンカチを引っぱり出した。

「ハンカチーフに背を向け、街を後にし、
 王と女王より賜った使命を果たすべく、
 遠く異国へと旅立って行くのだった。」

投げやりにハンカチを振ると、
老騎士は胸を張って進み出した。

曲がりくねった道を、ゆっくり、ゆっくりと、
老馬に跨って、得意そうに。

荷物をたくさん積んだ馬は時々よろけながら、
ゆっくり、ゆっくり、歩いていく。
老人は、馬がよろけようとお構いなしで、
ただした姿勢を崩さずに、威風堂々と去って行く。


「白の騎士…か。」

呆気に取られながらハンカチを振っていた僕は、
頭を掻きながら右向け右をした。

「ハンカチーフに背を向け、街を後に…」

老人の去っていったのと反対の方向を指差し、
よし、と小さく頷いて歩き始めた。

着いた先で、ライオンとユニコーンが喧嘩をしていなければいいけれど。
羊と一緒にボートに乗ったり、卵と押し問答するのもごめんだなぁ。
そもそも女王様になる気もないし…


僕はそんなことを考えて、一人でくすくす笑いながら、
曲がりくねった道を、ゆっくりゆっくりと、歩いて進んで行った。


午後の黄金色の光の射す、どこか不思議な森の中…





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