Ding-Dong





 …ticktack ticktack

   時は流れる
   あなたの時は

   あたしなんか いなくても
   着々と 流れ続ける

 ticktack ticktack…

   せめて
   鐘が鳴るまでに…


 *****


「私を、忘れないようにしてあげる。」


あたしを片腕に抱いたまま、
カイルが耳元で囁いた。

カイルの体温が、心地よくて、
あたしはそれを、虚ろに聞いていた。


「消せない思い出に、なってあげる。」


それは、とても甘美な幻想で、
カイルは、嘘を言っているわけではないけれど、
そのことに生涯を賭けたりもしないだろう。

ただ、今は、あたしが泣きやむようにするためにだけ、
それだけのために、ここにいてくれているのだから、
それでもいいやと甘えていた。

朝日が昇れば、二人して、
それぞれ現実に戻るから。
これは、それまでの夢…


空が白くなって、
景色が明るくなって、
あたし達は、「またね」と言って別れた。


カイルからは、それから一月連絡がなかったけれど、
あたしも、特になんにもしなかった。
なんにもしなくても、そのまま日々は過ぎたし、
あたしは、それでもいいと思うから。


 *****


朝起きて、顔を洗って、家を出て、
真っ白い建物の中で、いくつかの書類を作って、
日が暮れる頃、家に帰って、
食事の用意をして、夕食をとって、
お風呂に入って、少しだけ本を読んでから眠る。

それが、あたしの一日の全部だった。

月に一度くらいは、カイルから連絡が来て、
二、三度くらいは、他の友人とも会った。

それが、あたしの生活の全てだった。


「お食事でもいかがでしょう?」

気紛れのように連絡を寄越しては、
軽く首を傾げてそう訊くカイルは、
あたしが断りはしないと知っている。

あたしは、その自信に気付きながら、
それでもやっぱり、彼の手を取った。


 *****


笑い声は、頭上をすり抜けるように、
部屋の中にだけ響いて、
あたしの中には残らない。

時計の秒針の音が、
やけに耳に付くような時間。


気分屋のカイルは、思いつきさえすれば、
いつでも、どこへでも行く。
それが、あたしの手を握っているときでも。
気付くとすたすたと歩き出してしまうから、
あたしはいつも、小走りでついていく。

そうして、あたしは、あたしの知らない、
彼の友人達と出くわす。

あたしの知らない場所。
あたしの知らない人。
あたしに解らない話。

あたしは、ただ退屈に、
カイルの笑い顔を眺めていた。

笑い声は、あたしの右耳から左耳に抜けて、
あたしは、そうした日には決まって、
あたしにいいことは、なんにも残ってないような気分だった。


 *****


毎日は変わらずに、あたしの日々はなんにもないまま過ぎた。
カイルに会う時間は、増えたり減ったりしたけれど、
だからどうということもなかったと思う。


カイルとあたしの共通点はあまりなくて、
その割に好みは似ていたりして、
なんでもないような話を山程した。

カイルの生活は、くるくる変わって、
根幹が変わらなかったり、落ち着いた時でも、
話の種には困らないようだった。

あたしは頷きながら、カイルの話を笑って聞いた。
その世界に入って行きたい衝動に駆られながら、
それが、あたしが関わり得ない所だと知っていた。


カイルの生活は、カイルの生活で、
彼の心は、彼だけのもので、
あたしが関われる所なんて、ほんの少ししかなかった。


 *****


時々、思い出す。
もう一つの、夢。

夜中に突然電話が鳴った。
カイルの声は、抑揚がなく、
会いたいと言って、すぐに取り消した。
あの時、手を伸ばしていたら、
カイルは、あたしの側にいただろうか。

たぶん、あの時の私では、
彼は手に負えなかっただろう。
今だって、手に余るのに。

そうして、逆の立場で似たようなことになって、
結局すっかり、あたしが
カイルの手の内にいたのかもしれない。


 *****


最後にカイルに会ったとき、
彼は、彼の世界の話をしてくれた。

それは、彼の中に、確かに広がる世界。
あたしには、カイルの話と、
いくつかの絵でしか、知ることのできない世界。
それ以上を知ることのできない世界。


あたしは、目を輝かせて話に聞き入り、
カイルの世界を吸収しようとした。

その一部は、あたしの中で変化して、
彼とは別の、あたしの世界を作り始めた。


 *****


カイルの時間は、カイルのために流れた。
あたしには、それをどうすることもできなかったし、
どうするつもりもなかった。
ただ、きれいだと思っているうちは、
川辺に佇み、流れを見るように眺めていた。

カイルの時間は、あたしの時間を押した。
それは、どうしようもなく動き出して、
あたしの世界を創り始めた。
時計の針のように、着々と。


 …ticktack ticktack

   いつか、鐘が鳴るように…


 *****


消して消えることのない思い出。
ただそれだけの存在になって、
カイルは、あたしの隣から飛び立った。

彼自身の時間に。
彼自身の世界へ。





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