3 〜ワセフ〜


静かな夜に、見上げる空は、
湖に似ていると思う。
引き込まれそうに静まり返り、
時折、星がゆらめく。

この辺りの夜は、いつも静かだ。
何一つ、動かずに、息を潜めているように。
全てが、闇に沈んでいる。

風が吹くと、彼女を思い出す。
いつでも、黒髪を風になびかせ、
ここにいた彼女を…

弟は、スラングの話していたのと同じ所にいた。
足首程度までの草に埋もれるように、
仰向けに寝ている。
眠っては、いないだろう。

「アニキ…」

近付くと、ウィラルが口を開いた。
視線は、夜の空に向けたままだ。

「気付いていたのか?」
「風が、知らせたから…」

母の血筋から、俺達兄弟は、
幼い頃から、自然界の精霊を見ることができた。

「………俺達、このままここに取り残されるのか…?」

かける言葉を探しながら、
弟の頭の脇に腰を下ろすと、
ウィラルが口を開いた。
視線は、夜空を見据えたままだ。

「アミサを、追うか?」

視線を弟には向けず、
正面の木々に目をやりながらきく。

沈黙。

精霊達のざわめきが、
微かに耳に響く。
静かな夜に身を置くと、
自分という区切りがなくなるような
不思議な感覚に陥る。

「………。」

返事をしないまま寝返りをうち、
ウィラルは俺に背を向けた。

「………それは、でも、…ちがう…だろ………?」

消え入りそうな声で、
否定をしたら、ワセフ自身が消えてしまうかのように、
それでも、わずかな強がりがあったのか、
ウィラルはそう言った。

「………あぁ。」

そう答えて、しかし俺自身にも、
それが、肯定を示すのか、
納得の意志なのか、
それとも、ただのため息だったのか、
わからなかった。

沈黙の狭間を、
風が行き交う。

彼女の長い黒髪を、
なびかせ続けた、
この山の風
俺達の森の風…

「帰って、くるよな?
 アミサ、ここに帰ってくるよなぁ?」

ごろりと、もう一度仰向けになって、
ウィラルが声をかける。
あの、風になびく黒髪を、
視界の端に映しているように
空を、見つめて。

「来るだろ。そのうち、な。」

頬に受ける風の心地よさに、
身を任せるように目を閉じて、
俺は答えた。
閉じた瞼に、焼き付いたように浮かぶ面影。
風になびく黒髪と、
空にひびく、あの声と…

「………じゃあ、『そのうち』までの辛抱か…」

無意識に言葉がこぼれたように、そう言って、
見下ろした俺に、
視線だけで笑いを送ってから、
弟は目を閉じた。

風に、なびく黒髪と、
あの、笑顔と…
そんな夢を見ながら。
この山で、この森で、
そのときが来るまで、
俺達は、主の帰りを待ち侘びる…



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