「昨日は走り出せたから、今日は飛ぼう。
うん。そうだ。今日は、飛ぶ!」
知らない人の家の塀に座って、
空を見上げてそう言ったその子は、
とても満足そうな顔だった。
わたしは、呆気にとられて、
つい立ち止まってしまった。
その子は、満足そうに笑みを浮かべたまま、
じっと空を見上げ、
「うん」
と大きく声に出して言い、ひとつ頷くと、
ポンっと壁を蹴って、スタンッと塀から飛び降りた。
「…飛ぶって、そういうこと?」
やっぱり呆気にとられたまま、思わずつぶやいてしまった。
着地の衝撃を和らげるために、しゃがんだ姿勢のその子は、
両手を握り拳にしたまま、その姿勢から動かない。
達成感に打ちひしがれているようにも見える。
「こんにちは!」
思ったよりも大きな声が出てしまったのか、
わたしの独り言に反応して、その子がバッと顔を上げて言った。
キラキラと、本当に光っているかのようにさえ見える、大きな瞳が、
真っ直ぐわたしを見つめる。
「えっと…あのね、そういうの、危ないよ?」
どうしたらいいか困惑しながら、なんとか言葉を探し出す。
その子は、こちらをじっと見つめて首を傾げた。
「そぉいうのって?」
「塀に登ったり、飛び降りたりするの。」
その子は、やっぱりわからないといった様子で、
さらに首を傾け、じっとこちらを見ている。
「ここのお家の子?」
「ううん。ちがうよ。」
「じゃあ、勝手に人の家の塀に乗っちゃだめでしょ?」
「ん。もう乗らないよ。空飛ぶから。」
「そうじゃなくて…」
「走り出せたから、飛べるよ!」
真っ直ぐに、大きく目を開いてわたしを見て、
興奮気味のその子は言った。
それ以上何をいったらいいのか、
心底困り果ててその子を見ていると、
「飛べるんだっ!」
そう言って、くるりと向き直り、
タッと走って行ってしまった。
あ…と思った時には、もう、
普通に話しかけるには距離が開きすぎていて、
呼び止めようかとも思ったけれど、
どう呼んだらいいのかわからなかった。
「昨日走り出せたから、今日は飛べる!
飛べるから、今日は飛ぶ!
今日飛べたから、明日は、明日は…」
大きな声で、そういいながら、その子は走っていった。
呼び止め損ねたまま、それでも気にかかって見送っていると、
懸命に地面を蹴る彼の足が、少しずつ、地面から離れていった。
ぽぉん、ぽぉんと、跳ぶように。
やがて、跳ねた後の着地でさえ、地面には触れずに、
目に見えない階段を昇るようにして、
その子は、空へ消えていった。
「………飛ぶって、そういう、コト…?」
結局最後まで、呆気にとられたままで、
わたしは、その子を見送った。
『今日は飛べたから、明日は、
明日は………!』
キラキラと輝く、大きな目が印象に残る。
さらっと真っ青な空に、ほわんと浮いた白い雲の間から、
嬉しそうに叫ぶ、その子の声が、降ってきた。