「くっはぁ…」
大きく、暑い空気の固まりを吐き出して、
あたしはとうとう足を止めた。
地面に崩れるように膝をついて、
そのまま、ごろりと仰向けになる。
乾いた土が、ほこり臭い。
じっとりと、鼻の頭から広がるように、
顔中、体中から、汗が噴き出してくる。
両脇に並んで生えるひまわりが、太陽みたいで、
無数の太陽に、見下ろされているようで、
あたしは、このまま、灼かれて溶けてしまうような気がした。
心臓が、頭蓋骨の中に移ってしまったかのように、
脳みそが脈を打つ感覚。
体中の血管が、それを伝えて振るえている。
手足を動かすどころか、起き上がる気にさえ、もうなれなかった。
この閉ざされた身体の中で、こんなに急いで、
あたしの血液達は、どこへ行こうとしているのだろう?
胸から頭に移ってしまった心臓を、探しているのかな?
ぐったりと、寝転がったまま、そんなことを考えた。
痛いくらいに、空が青くて、
それをごまかそうとしているみたいに、
雲は真っ白だ。
ここは、広すぎるから、あたしは行く場所がない気がした。
「もぉ、逃げらんないや…」
ひまわりの、金色に輝く黄色がまぶしくて、
あたしは目を閉じた。
「やっと観念しましたか。」
頭上から、声がして、薄く目を開く。
見慣れた顔、紳士ネコ。
日差しを受けて銀色に輝く毛並みに、艶やかな黒で所々に縞模様が入っている。
グレーのスーツをびしっと着こなして、首には鮮やかなスカーフ。
ポケットから、ちょっとだけ覗いた懐中時計の鎖が光る。
「暑くないの?」
あんまり涼しそうな顔で立っているものだから、
思わずきいてしまう。
「夏用の毛への生え替わりは済みましたからね。」
そういう問題じゃないと思うんだけどなぁ…
という感想は、怒られそうなので言わないでおいた。
目を閉じていたせいか、酷くまぶしかったので、
仰向けの姿勢のまま、腕を目の上に乗せて庇う。
「アンタ、なんで追っかけてくるの?」
「あなたが逃げるからですよ。」
凛と響くような声で、即座に答えが返ってくる。
本当に、このネコは、この炎天下の中でも暑くないらしい。
「逃げるから…だけ?」
「他に何か理由が必要ですか?」
さらりと言い返されて、一瞬言葉に詰まったけれど、
このまま言い負けるのも癪に障る。
「じゃあ、もう逃げないから、追ってこないわけね。」
「えぇ、あとは、あなたを捕まえて連れて行くだけですからね。」
どっと脱力して、精一杯恨みを込めてネコを見上げたけれど、
彼は、相変わらず涼しい顔をして、あたしを見下ろしていた。
「どこにつれていくの?」
半ば諦めながらきいたけれど、
「そんなことは知らなくてよろしい。」
ぴしゃりと言われて、あたしは小さくため息をついた。
「さぁ、いつまでそうしているのですか?」
ネコが、ほんの少しだけじれったそうに促す。
渋々と立ち上がると、ネコはあたしの腕をつかんで歩き出した。
延々と続く、ひまわりに囲まれた道。
ネコに腕をひかれながら、ふと、空を見上げる。
真っ青な空に、真っ白な雲が流れる。
「あの雲は、どこへゆくのかなぁ…?」
なんとなく、つぶやいてみたらネコが答えた。
「どこへも行きませんよ。」
振り返りもせずに、素っ気なく続ける。
「彼等は、一つの空を延々ぐるぐる回り続けているんです。」
「どうしてわかるの?」
「直接聞いたからですよ。」
当たり前だとでもいうように即答される。
「いつだったか、そんなことをして何になるのかと
いってやったんですがね、雲のヤツときたら、
『こうやって動き続けていれば、
いつかどこかにいけるかもしれないじゃないか』
なんていいましたよ。」
彼は、あたしの腕をつかんだまま、肩をすくめた。
涼しげな横顔の全てが、まったくくだらないと
つぶやいてでもいるように見えた。
あたしはもう一度、空をふり仰ぐ。
単調なほどに真っ青な空。
焦るように、流れる雲。
ぐるぐるぐるぐる、流れて流れて、
いつか、どこかへ行けるから。
それまでは、精一杯、回って回って…
走り出しさえすれば、本当に、
いつかどこかへ、いけるような気がして、
あたしは、ネコの手を振り払った。
「お待ちなさい。」
とっさに出された彼の爪が、腕に小さなキズを付ける。
キズから溢れた血が、少し飛び散った。
ぐるぐるぐるぐる回って回って…
止まらずにいたら、どこかに出られるかもしれないから。
乾いた土の上に落ちた、あたしの一滴の血のように。
こうして、あたしと紳士ネコの追いかけっこは、
きぃんと澄んだ、青空の下で、
突き刺すように眩しい日差しの中、
延々続くひまわりに埋もれながら、
どこまでも、どこまでも、ぐるぐるぐるぐる
まだまだ続いているのです。