過去の証





我が国は、様々な技術の発展と、
数々の戦の勝利により、大いなる発展を遂げた。

少数の部族達は、未だ、我が軍への抵抗を続けているというが、
それは、世界の果てともいえるような、
首都から遠く離れた、小さな村々でしかない。

世界は我が国のものとなり、
平和で、穏やかな、整然とした姿となった。


もちろん、これは、大変喜ばしいことであり、
私は、このような世が来ることを待ち続けていた。

しかし、私には、ただ一つだけ、
心にかかっていることがある。

今も時折、夢に見さえする、あの瞳。

未来を見るわけでもなく、
過去を見るわけでもなく、
ただ真っ直ぐに、目の前を、
私の顔を見据えた、あの瞳…

あの瞳が、あの少女が、
言いたかったこと、言っていたことを、
今も私は、完全には理解できていないのだろう。
しかし、今ここに、私は書き留めておこう。


この世界が、完全に我らのものとなり、
彼等の生きていたという記憶、
その痕跡が、消えてしまう前に。

世界中から、彼等が跡形もなく消え、
忘れ去られ、私ですら、その存在を忘れ、
ただ、あの瞳だけを夢に見るようになる前に。

私は、私の見たことを、
ここに書き留めておこう。


新帝国歴82年、白冠の月 シャロウ・ジョーレイン






そこは、山間の小さな村だった。

私は、蛮族討伐の命を受け、
私の部隊を率いてそこに向かった。

彼等は、山から下りることは滅多になく、
時折、麓の町に来て、物々交換で物資の調達をする以外は、
彼等の村と、山に隠り、半分獣のような生活を送っていた。

私は、実際に彼等の生活を見たわけではないが、
少なくとも、そう聞いていて、
それ以外の話は、聞いたことがない。


私の部隊の、若い者の中には、蛮族を恐れる者や、
気味悪がり、作戦に積極的でないような者もいた。
私は、そういった者達に対して、我等の目的や、
帝国の信念を説かなければならなかった。

もっとも、実際には、そういった者達は、
他の仲間から聞かされる、我等の部隊の優位性や、
この作戦が成功すれば得られるであろう報償の話でもって、
仕事として割り切るようになっていったようだが…


山の麓の町で、住民達に話を聞いた時、
「彼等は、自然と共に暮らす良い者達だ。」と言った者もいたが、
隣に居合わせた別の住民に肘でつつかれ、
慌てて口を噤み、気まずそうに俯いていた。
私達の部隊の目的を、知っていたからだ。


実際、その部族の者達がどんな者だろうと、我らの使命は変わらず、
我らに従う他に、彼等が生き延びる術はなかった。

そして、それは、当の本人達も含め、
誰もが知っていることだった。

麓の住民達は、私達の部隊に協力をし、
今回のことに対して、余計な関わりを持とうとはしなかった。

事前に手配した斥候の情報では、
山の部族達に目立った動きはなく、
ただ、いつもの日常の営みと、
戦の準備が進められているようだということだった。


戦の準備。

数も劣り、兵器も持たぬ彼等が、
戦いで以て、我らを迎えようとしている。
私には、その考えが理解できなかったが、
蛮族とはそんなものなのだろうと納得した。

私達はこの町で、作戦に必要な最後の準備をし、
翌日、私の部隊は、山へと分け入った。



私達は慎重に進んでいったが、
山中に、罠が仕掛けられているということもなく、
進軍は順調で、ほどなくして、目的の村付近に着いた。

彼等は、引き金もなければ火薬も使わない武器で武装し、
ご丁寧なことに、行儀良く並んで私達を待っていた。


私は、形どおりに、彼等に降伏を呼びかけ、
我らの帝国の民となるよう呼びかけたが、
それまでの経験から、彼等がそれに従わないことはわかっていた。

彼等は、微動だにせず私の話を聞き、
私が話し終わると、彼等の代表がただ一言、
「我々は、おまえ達の奴隷になどならない。」と言った。

「他に、生き延びる道がなくてもか?」私は聞き返した。
彼は、「我等はただ、我等としてのみ生きる。」とだけ言った。

私は、一つ小さく溜息をつき、
「そうか」と言ってその場から下がった。

なんと頭の固い奴等だろう。
なんと物分かりの悪い奴等だろう。

我等に従えば、彼等の生活はずっと良くなるのだ。
このような山の中での、獣のような生活を続ける必要など無く、
ボロのような衣服を纏う必要も無く、
山を駆け回って食料を探す必要もなく、
渋い木の実で飢えを凌ぐ必要も無い。
快適で、文明的な生活が送れるというのに。
それどころか、今、帝国に従わなければ、
彼等も、彼等の家族も生きられないというのに。


私が、部隊を指揮するために、後方へ下がるあいだ、
彼等は、粗末な武器を構えて待っていた。

両軍は、私の号令で戦闘を始めたが、
結果はどう見ても決まりきっていた。

私の部隊は、程なくして蛮人達を制圧した。
彼等の中に、降伏する者は一人もいなかった。
なぜ、降伏し、生き延びようとしなかったのか、
そうする術がわからなかったのか、
そもそも、そう考える頭がなかったのか、
私にはわからなかった。


彼等は、皆、死んだ。



戦闘が終わると、私は数人の部下を連れ、
村の中へと進んでいった。

小さな蛮族の村とはいえ、
女子供もいるだろう。
それらのか弱き者達を、保護しなければ。

何も知らないような子供には、罪はない。
連れ帰り、然るべき教育を受けさせれば、
蛮族といえども、少しはましな生き方が、
少なくとも、ここの暮らしよりは、
人間的な暮らしが、できるように育つだろう。


村の中は、静まり返っていた。
物音どころか、生き物の気配も感じられず、
不気味な空気に満たされていた。

風に乗って流れてくる、この、血の匂いは、
先ほどの戦闘のものだろうか…?

私達は、息苦しささえ感じながら、村の中へと進み、
粗末な家の一軒一軒を見て回り、
誰かいないかと、声をかけて回った。


あぁ、なんということだろう、
村の中にも、生存者はいなかった。
彼等は、自ら命を絶っていた。

彼等は、ある者は一人で、ある者は家族と、
ある者はうずくまるように、ある者は眠るように、
あるいは、折り重なるようにして、
皆、息絶えていた。

私達は、あまりのことに、頭をくらくらさせながら、
それでも辛抱強く、一軒一軒を見て回った。
生存者はいないか、誰か、この事態を説明する者はいないのか…


とうとう私達は、最後の一件の扉の前に来た。
それは、山に囲まれたこの村の、一番奥にあり、
他の家よりも、一回りほど大きかった。

扉には、彼等の古い言語で何か書かれており、
他の家と違い、装飾もされていた。
おそらく、この村の長の家なのだろう。
そうでなければ、何かの儀式にでも使う場所か。
その問いに答える者は、もはやこの村には、いそうにもないが。


私の心の中では、
この扉を開けるのが恐ろしいという思いと、
早く中を確認し、仕事を終えて帰りたい、
という思いとがせめぎ合っていた。

蛮族の制圧という、私の任務は、滞り無く、
さして苦労もせずに成功したにも関わらず、
この、異常な状況のため、私は疲れきっていた。


その家の中の静寂は、
外のそれとは、違うもののように感じられた。
私は、緊張し、辺りに注意をしながら、
家の中へと、歩を進めた。

厳粛ともいえるような、静寂の中で、
足音が、響きそうな錯覚にさえ襲われたが、
床は土が剥き出して、実際にはそんなことは全くなかった。


その家の、一番奥の部屋に、彼女はいた。
中を進むにつれて、私の緊張は高まり、
震えそうな手で開けた、最後のドアの向こうに。

真っ直ぐに、背筋を伸ばし、
ただドアを見つめて、座っていたのだろう。
私がドアを開けても、微動だにする様子もなく、
こちらを見据えて、座っていた。

年の頃は15、6といったところか、
若いというよりも、まだ幼さの残る少女だった。

背後で、部下の息を飲む音が聞こえた。
ただ少女が座っているだけの光景が、
こんなにも我々に衝撃を与えるとは…


「この村の子だね?生き残った者がいたんだね?
 君の他に、生きている人は、もういないのかい?」


私は、努めて優しく問いかけた。

彼女は、私達の言葉がわかるだろうか。
私達の言うことを、理解するだけの賢さがあるだろうか。
そして、このような尋常でない状況で、こんな所にいる少女が、
果たしてまともな精神を保っているのか。
私は不安に思ったが、いずれにしても、
彼女を、このままにしておくことはできなかったし、
彼女以外に、私達の疑問に答えうる者はいなかった。


「えぇ、そうです。」

背中を、真っ直ぐに伸ばしたまま、
涼しげな声で、彼女は答えた。
その瞳は、真っ直ぐに私を見据えたままだった。


「あなた方が否定し、
 あなた方が、世界を思うとおりにするために滅ぼした、
 この村の者です。」


表情を変えることすらなく、少女は言った。
おそらく、彼女の親や兄弟も、
既に死んでしまっているのだろう。
恨まれても、仕方のないことかもしれない。

その分、私はこの子を育てる義務があるのだろう。
国へ連れ帰り、然るべき教育機関に預け、
新しい世界で、立派に生きていけるようにしよう。
そうすれば、彼女の家族も浮かばれることだろう。


彼女を保護しようと伸ばしかけた、私の手を、
押し留めるかのように、少女は続けた。


「けれど、わたしは生き残りではありません。
 わたしは、ただ、一族を代表して、
 あなた方に伝えなければならないことがあったので、
 ほんの少しだけ長く、ここに残っただけです。」


私は、背筋が凍り付いたように、
動くことができなかった。


「あなた方は、わたし達を否定した。
 わたし達には、わたし達の考え方や、生き方があるのに、
 あなた方は、それを否定し、
 あなた方の考えを、押しつけようとした。」


少女の瞳は、真っ直ぐに私に向けられ、
私の目をとらえていた。


「わたし達には、あなた方の考えを受け入れることができない。
 あなた方に従って、生きることはできない。
 同じように、あなた方も、
 わたし達の考えを、理解することはできないでしょう。」


私は、少女から目を離すことができなくなっていた。


「そして、あなた方は、わたし達よりも遙かに強大。
 わたし達は、滅ぶしかなく、
 この世界は、あなた方によって変えられてゆくことでしょう。

 しかし、受け入れられないからといって、
 わたし達のことを、何一つ話すこともなく滅んだのでは、
 わたし達の歴史は、何も残すことなく消えてしまいます。
 ただ、愚かな、野山の獣と変わらぬ蛮人だったと、
 そのようにしか思われないのでは、
 わたし達の生も、死も、あまりに無意味です。」


冷たいものが、背中を走るような気持ちだった。
私は、この少女を恐れ始めた。
こんな少女に、こんなことを言わせる『何か』を、恐れた。


「わたし達は、生きていくのに必要なことしかしません。
 あなた方のように、何でも余分に作ったり、
 余分に壊したり、余分に殺したりしません。
 わたし達が生きてゆくには、それで充分だったからです。

 わたし達は、なぜあなた方が、
 そのように、余分なことまでするのか、わかりません。
 どうして、自然にある恵みを受け入れることよりも、
 不自然な物を作り出すことの方が大事なのか、わかりません。」


きっぱりと、少女は言った。
私はすっかり気圧されて、冷や汗をかいていたが、
少女が微かに、こちらを伺うような仕草を見せたので、
やっとの事で口を開いた。


「なぜなら…なぜなら、そうすることで、
 私達の生活が、驚くほど豊かになるからだよ。
 私達は、毎日を、飢えに苦しむことも、喉の渇きに苦しむことも、
 寒さに苦しむことも、ほとんどなく暮らしている。
 豊かな、快適な生活を得るために、
 私達は努力をし、技術を磨き、発展を遂げたのだ。」


所々、声がかすれるのが自分でもわかった。
それでも私は、なんとか、言うべきことを言った。
私達の国が、どんなに素晴らしいものかを、彼女に伝えようとした。


「わたし達は、そんなものは望みません。」


私から目を逸らすことなく、彼女は言った。


「あなた方の快適な生活は、
 あなた方の国でだけ、為されればいいのに、
 あなた方はそれでは満足しなかった。
 だから、わたし達は、滅ぶのです。
 わたし達は、わたし達であることを守るのです。」


何かを覚悟した目。
強い、意志を秘めた目で、彼女は言った。
「プライドのために、死ぬと?
 一族の誇りのために、君のような幼い子までが?」

「プライドだけではなく、
 わたし達自身の全てのために。」


私は、少女から目を逸らしたくなったが、できなかった。


「それに、プライドならば、
 もう、随分と傷つけられています。
 わたし達は、あなた方の生き方で傷付きはしません。
 ただ、あなた方の、戦いの方法が、
 わたし達のプライドに反するのです。」


少女の瞳に、微かに、感情が浮かぶ。
私への、私を通して我が国への、
静かで、確実な怒りが。


「わたし達の戦士は、一族を誇りに思う人達でした。
 わたし達の生き方を、信じた人達でした。
 わたし達のために戦おうと、自分で決め、
 それを貫いた人達でした。
 一人残らず。全員が。」


一瞬、少女の目が私から離れ、
後方の部下達を睨み付ける。

「ひっ」と、部下の一人が、小さな悲鳴を上げた。

少女は、私に視線を戻して続けた。


「けれど、あなた方は違う。
 わたし達は、それが許せないのです。
 自らの生き方、信条をかけて、
 全てをかけて、真剣に戦うものに対して、
 同じように、真剣な思いで臨むのでないことが。」


「そんなことはない。
 私達の国は、人々の暮らしを豊かにしようとしている。
 私は、私の国を信じ、誇りに思っている。
 様々な技術や、制度の整備が、
 誰もに、多大な恩恵を与えると信じている。
 君達にも、それが必要だと、信じている。」


私は、必死になって訴えかけた。
彼女には、私達が、単なる略奪者にしか見えないのだ。
私達が、ただ、彼女を脅かす者にしか見えないのだ。

だが、そうではない。
私の国に来れば、快適な、文化的な、
そして何より人間的な生活が送れる。

私は、少女を説得しようとした。


「私は、」

「…確かにあなたは、そう信じているでしょう。」


私の言葉を遮って、彼女が言った。


「けれど、あなたの部下達は?
 わたしの仲間達と戦った、全ての者が、
 あなたと同じように、強い信念を持っているのですか?」


私は、答えられなかった。


「ほとんどの者が、戦いの報酬を目当てに、
 自分のこと、自分の家族のことだけを考えているのではないのですか?
 わたしは、それが許せないのです。

 あなたの国が、その強大さで以て、
 なんの敬意もなく、わたし達を滅ぼすことが。
 わたし達の信念に対する、なんの思いもないような者を使って、
 ただ、強力な兵器で、わたし達を滅ぼすことが、

 何一つ、わたし達の信念に答えようとしないことが、
 己の信条を、示すことさえしないことが、
 許せないのです。」


捲し立てるように、少女は言った。


「しかし…」


私は、少女の言ったことを否定したかった。
だが、何を言ったらそれができるのか、わからなかった。
どうしたらわかってもらえるのか、見当も付かなかった。

少女は、息を整え、こちらの様子をうかがったが、
私が言い淀み、言葉を見つけられないでいるのを見て取ると、
最期にこう言った。


「わたし達が言いたいのは、それだけです。
 あなた方に敵わない、わたし達が残せるのは、
 これで全部です。
 もう、思い残すこともありません。
 あなた方に対しても、何も思うこともありません。
 ただ、わたし達は、わたし達であるから、
 皆、ここで死ぬのです。」


最期の最期まで、真っ直ぐに私を見据えたまま。
少女は、その場で死んだ。
どう死んだのか、私は覚えていない。
頽れる少女を見た私は、部屋を後にし、
そのまま、その場へは戻らなかった。

部下達に、少女の亡骸を任せ、私は足早に、元来た道を戻っていった。
始めは早歩きで、徐々に、走り出し、私はもう一度、村の一軒一軒を周り、
憑かれたように、息絶えた万人達の顔を、一つ一つ、じっくりと見て回った。

どうしてそんなことをしたのか、
私自身、わからない。

ただ、少女のあの言葉に突き動かされ、
私は、彼等の一人一人を確かめた。


なんということだろう。
それは、苦しむ顔はなく、悲しむ顔もなく、
痛みに歪むこともない、なんの表情もない死に顔だった。

目を閉じた者は、思慮深く何かを考えるように、
目を開いた者は、あの少女と同じように、
ただ真っ直ぐと、前を見つめていた。

誰も彼もが、確かに、何かを信じているように…





私達は、全ての蛮族の死体を、
ごく簡易な葬儀で埋葬し、帰途についた。

私は、幾晩もあの、少女の目を夢に見てはうなされたが、
彼女の言ったことを、何度思い起こしてみても、
あのとき、どうすれば彼女を救えたのか、
私にはわからなかった。

私の国は、その後も順調に発展し、領土を広げ、今に至っている。
人々は豊かになり、生活は楽になった。
信念など無くても、生きてゆくことは簡単になり、
実際に、強い信条を持って生きている者は、稀になったように思う。


私は、今も変わらず、私の国と、
私達のしてきたことを信じている。

しかし、私自身にも、どうしてなのかはわからないが、
あの少女の、瞳だけは忘れられず、それは時折私を苦しめ、
そして、あのような眼をもった者は、
その後二度と、見つけることができなかった。

この、豊かな国では、あの蛮人達のような、
強い意志は育たないのかもしれない。



人々は豊かになり、誰もの生活が裕福で、楽になり、
私は今でも、私達の国が、世界に良いことをしていると、
変わらず信じ続けている。




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