コトノハコトダマ







         こんにちは
                      さようなら
              ありがとう
    ごめんなさい
                          だいすき
          きらい
                  あいたい

   どうか   どうか   どうか   どうか・・・


あいつの、言いかけた言葉が何だったのか、
結局、俺は知らない・・・





木を一本切り倒す。
ただ、それだけのことだと思った。
ただ、それだけのことのはずだった。



「何ビビってんだよ。
 たかが、木一本だろ?」

リシュは、足元を見つめたまま動かない。
俺は、イライラと頭を掻いて、
リシュの顔を覗き込もうと身を屈めた。

「なぁ、いい儲けになるだろうよ?」

「な?」と、さらに身を屈めて、無理やり顔をのぞく。
不安そうな、今にも泣き出しそうな顔にびくっとして、
あわてて上体を起こす。

・・・・・・・・・まいったなぁ・・・

「なぁ、リシュ。黙り込んじまったらわからねぇだろ?
 何がきにいらねぇんだよ。なぁ?」

なだめすかしてごまかそうと思ったが、
いつものようにはいかなかった。

いつも俺の服の裾を握って、
後ろからチョコチョコついてくるだけだった、
何年も前のガキの頃みたいに、ただ黙って、
泣きたいのを、必死にこらえてるみたいに。



「じゃあ、さ。俺が行って来るから、
 お前はここで待ってろ。」

とうとう説得に疲れた俺は、そう言った。
ハッとしたようにリシュが顔を上げ、俺を見る。
安心させようと、俺が笑うと、
言いかけた言葉を、リシュは飲み込んだ。

「すぐに戻ってくるからさ。な?」

そういって、ぽんとリシュの頭に手を載せる。
いつもの、安心してほころぶリシュの顔が浮かぶ。
だが今日は、俯いたまま。
微かに、曖昧に「うん・・・」と返事をしただけだった。



・・・・・・・・・どこでそんなに機嫌損ねたんだ?

首を捻ってはみるものの、
リシュが何を考えているのか、
何を言いたかったのか、
何を知っていたのか、感じ取っていたのか。
俺には何一つわからない。

昔から、勘の良かったリシュは、
悪いことを感じ取っては、俺に知らせ、
俺はリシュの忠告に従った。

リシュは、今度も何かを感じ取ったのだろう。
だが、それを俺に言わないなんてことは初めてだった。
まるで、自分にそれを伝える術がないことに、
絶望するかのような、あの顔・・・

「ちっ………ヤバそうだったら、
 速攻引き返せばいいよな・・・?」

リシュの目を思い出し、背筋に冷たいものが走る。
けれど、そのまま戻るのも、なんだか気まずいように思えて、
おれはそのまま、森の中へと踏み込んでいった。



木を、一本切り倒してほしい。

依頼は、ただそれだけのことだった。
町の近くの森の、中央。
緑濃く茂る大樹が、人を惹き込むという。

「長く生きた木には、心が宿るから…」
リシュが小さくつぶやいた。

「ヤバそうなのか?」

俺が訊くと、リシュは黙って俯いて、
それきり何も言わなくなった。
俺が何を訊いても黙ったままで。
時折、何かを言いかけるように俺を見ては、
また、悲しそうに俯いた。


リシュは、何か知っていたのかもしれない。



緑豊かに草木の生い茂る森は、何の危険もないように思えた。
足元の草を薙ぎ払いながら、俺は森の中央に向かって進んだ。
いつまで歩いても、不安そうなリシュの顔が頭から離れない。
俺はどうして、あいつを置いてきたんだろう?
けれど、このまま何もせずに戻るには、
俺はすでに森の奥へと踏み込みすぎていた。

例の木の、様子だけ見て、
すぐに、町に戻ろう。

そう決めて、俺は先を急いだ。

木の枝葉の密度が濃くなり、
だんだんと辺りが暗くなる。
薄暗い森の中は、いつしかしんと静まり返っていた。

微かに、木々のざわめく音。

   ようこそ
          いらっしゃい
 まっていた

一瞬、声が聞こえた気がして、
辺りを見回す。

ゆったりと、風が流れ、
背中の汗を冷やす。

   おかえり
          おいで
 ここに、ここで

目の前に、大きな木。
さらさらと、零れ落ちる様に落ちる葉が、
微かに輝きながら、
声を、放っていた・・・

真っ白な。
本当に真っ白な光の中に、
その木は立っていた。

   ここにいて
           いかないで
 そばにいて

絶えることなく、大樹は葉を落とし、
絶えることなく、葉は、言葉を奏でた。


「あんたも、ここにいたらいい。」

木の葉の、透き通った言葉とは違う、
人の声に我に返る。

一人の男が、大樹の根元に腰を下ろしていた。
満身創痍といった体でやつれているが、
目元と口元には、穏やかな笑みが浮かんでいる。

「・・・この木に、魅了されたクチか?
 生憎俺には帰る場所があるんだ。」

男にそういいながら、
俺は木から目が離せなくなっていた。
さやさやと、降り注ぐ木の葉、
降り積もる言葉。

「ははっ。俺にもあったさ。
 帰る家も、そばにいたいやつも、
 守りたい女だってな。」

笑った拍子に咳き込みながら、男はそう言った。
そういっている間も、男の目は森の中
いや、彼の頭上から降る木の葉から、一瞬たりとも離れない。

「なぜ、帰らない?」 俺は、やっと木から目を離し、
男の方を向いていった。

「なぜ?
 なぜだって?
 ははっ。なぜ帰る必要がある?」

男は、やっとこちらに顔を向け、
俺の目を見据えて言った。

「ここには、すべてがあるじゃないか。」

にやりと笑って、男は視線を元に戻した。
降り注ぐ木の葉は、清らかに言葉を紡ぐ。

「ほら、いま、あいつが俺に、愛を囁いた。」

男のその声は、俺の耳には入らなかった。
無数の、言葉の中の一つ。
ほんの一瞬、耳を掠めた、あの声・・・

   つれてって
           たすけて
 まって、まって

「リシュ!」

   リシュ
           リシュ
 りしゅ

叫ぶ声を、木の葉が繰り返し。
また、無数の木の葉が、それに答える。

   うん
           いいよ
 だいじょうぶ。

リシュの声。
いつもの、控えめな、あいつの声。

あの、木の下…



「リシュ?」

   りしゅ
           うん
 なぁに?

「なぁ、リシュ。」

   リシュ
           りしゅ
 うん?

「そこに、いるな?」

   いるよ
           うん。
 ここに、いるよ。



降り注ぐ、光と、リシュの声。
たくさんの笑い声、風の声、木々の声・・・

いくつもの、いくつもの、リシュの言葉
俺が今までに聞いた全ての、
リシュの、言葉。

「なぁ、リシュ。」

たくさんの返事。
リシュの、返事

「あの時、お前、何を言いたかったんだ?」

たった一つだけ、
きけなかった言葉。
リシュが言おうとした言葉、
いえなかった言葉・・・

「なぁ、リシュ?」

   うん
           あのね
あのね、リーク…





あいつの、言いかけた言葉が何だったのか、
結局、俺は、今も知らない・・・








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