「強くなりたい」
その人は言った。
冷たい芯を含み始めた、風の中で、
まっすぐに、空を見つめながら。
「私は、強くなりたい。」
その人は言った。
風の吹く先を、まっすぐに見据えたまま。
つられてあたしも空を見る。
その人の見ている空とは少しずれるけれど、
その人の後ろに広がる空を。
その人の含まれる、空の景色を。
とんでゆくのだな、この人は。
どうしてか、ふとそう思った。
何とはなしにただ、ゆくのだろうなと。
「行ってらっしゃい。」
驚いたように、その人が振り返る。
顔を見た途端、淋しさに潰されるように、
怖くなりはしたのだけれど…
「いってらっしゃい。」
そうなるのだと、わかったからではなくて、
それがいいと、思ったから。
その人が笑ってくれたらいいと思ったから、
あたしは、精一杯微笑みかけた。
「…いってきます。」
一瞬の間の後、はっきりとそう言って、
両腕を水平に広げる。
その腕が、翼になって、
風に運ばれるように。
その人は、空へ飛んでいった。
「強くなりたい。
私は、強くなりたい。」
残像が、声になって、耳の中で響く。
飛び立ったあの人の強さも、
見送ったあたしの強さも、
きっと、どちらも尊くて、
きっと、どちらかは、必要で…
見上げた空には、あの人の影さえも、もう見えなくて。
差し込む日差しは、あの人の翼と同じ色をしていた。