未来世紀




「ボク、火星に住むよ?」

大きなリュックになにやらぎっしり詰め込んで、
ジョーイはママに言いました。

「そぉう?でも、夕食までには戻るのよ?」

ママは昼食のお皿を洗いながら、鼻歌混じりに返します。


「戻らないよ!ボクはもう、ずぅっと火星に住むんだからね。」

ジョーイはちょっと怒って返します。

「あらあら、困ったわね。
 一体どうしたっていうの?」


ママは洗い物の手を止めて、ジョーイの前に屈み込みます。

(ボクだってもう一人前なのに、いつもこうやって子供扱いだ)

ジョーイはほっぺを膨らませ、けれど精一杯誇らしそうに、
ママに教えてあげました。


「だって、世界はもう、未来世紀なんだよ?」





ジョーイの家の年寄り犬ロイは、ジョーイが玄関から出ると、
必ず一声「ワン」と鳴きます。

そうして、大きなリュックを不思議そうに眺め、
じーっとジョーイの様子を見るのです。


「さよならだよ?ロイ。ボク、火星に住むんだ。
 お前も連れて行ってやれればいいんだけれど…」

深刻な顔のジョーイに、ロイは首を傾げ一声吠えて先を促します。

「火星はカイタク途中だから、おじいちゃんのロイには
 カンキョウがキビシイんだ…」

ジョーイは、覚えたての言葉を得意そうに使って、
カンキョウがキビシイって、どんなことかしら?とちょっとだけ思いながら、
名残惜しそうにロイの頭を撫でました。

ロイは益々不思議そうです。

「さようなら、ロイ。」

ロイにもう一度お別れを言って、ジョーイは家を後にしました。





   ザッザッザ

背筋を伸ばして歩き出すと、
背中のリュックが、高らかに音を立てます。
クッキーにキャンディーにクラッカー。

   ザッザッザ

オモチャに絵本に落書き帳。
クレパスにビー玉に水鉄砲。

「火星にイジュウするのだって、これだけ準備があれば大丈夫。」

教科書やノートは持ってきません。

「だってボクは、新しい星で新しいブンカを作るんだ。」

でもブンカって何だろう?
なんだかわからないけれど、はさみものりも画用紙も、
ちゃぁんとリュックに入っていますから、きっとなんでも作れます。

(あぁ、ねんども持ってくればよかったかなぁ。
 でもきっと、火星にもねんどになる土もあるだろうし、
 他の誰かにもらったっていいよね?)

   ザッザッザ

夢と希望と未来世紀。
ジョーイのリュックも心も、めいっぱい膨れています。





「ねぇ、ボク火星に住みたいんだ。
 火星への道を教えてよ。」

町へ出たジョーイは、まず交番で道を尋ねました。
「迷子になったときには、おまわりさんに助けてもらうのよ。」
ママはいつも、ジョーイにそう言い聞かせていました。

(ボクは迷子じゃないけど、おまわりさんならきっと、
 火星への道も知っていて、ボクを助けてくれるんだ。)

きらきらと期待に輝く目を向けて、
ジョーイはおまわりさんにせがみます。

「ねぇ、火星までの道を教えてよ。」

おまわりさんは、困ったように笑ってジョーイに訊ねます。

「ぼく?ママはどうしたの?」

「ママはお家だよ。ボクは一人で火星に住むんだもん。
 ねぇ、どの道を行ったら火星に着くの?
 チャールズ通りから?ルイス通りから?
 マッティーナ通りだって遠足で通ったからわかるよ?
 ねぇ、どの道なの?」


ジョーイは必死です。
おまわりさんに教えてもらわなかったら、火星までの道を、
誰にきいたらいいのか、わからりません。ですから、
どうしても、おまわりさんに教えてもらわなければなりません。

「ねぇ、ぼく。
 火星はね、お空の向こうにあるんだから、
 どの道を行ったって、歩いては行かれないんだよ。
 人類が、月より遠くへ行けるようになったら、
 君もロケットで行けるかもしれないけれど、
 それはどんなに早くても、君がもっと大人になってからだろうね。」

おまわりさんは、ジョーイの頭にぽんと大きな手を乗せて言いました。
ジョーイは呆気にとられています。

「ちょっと難しかったかな?
 さぁ、ママが心配するから、暗くなる前にはお家に帰るんだよ?」

くしゃっとジョーイの頭を撫でながら、
おまわりさんは「いいね?」とジョーイに言います。

「ボク、どんなに遠くまでだって、歩いていけるよ?
 どんなに長くだって、歩いていけるよ?」

ジョーイは泣きそうな顔でおまわりさんに言います。
おまわりさんは、困った顔で優しく笑って言いました。

「じゃあ後は、君の乗るロケットができるのを待つだけだよ。
 君も火星に行ける未来が、きっと来るから大丈夫。」





丘の上の木の根本で、ひざに擦り傷を作って、
ジョーイは座って空を見上げます。

本当は、木に登って、空へ行きたかったのですが、
空まで高い木は大きすぎて、上手く上れず、
ジョーイは途中で落っこちてしまったのです。

「ボクは、火星に住みたいんだよ。」

お空の雲に、ジョーイは言います。

(あの雲が、僕を乗せていってくれたらいいのになぁ。)

雲は流れて行くばかりで、ジョーイを乗せに降りてきてもくれなければ、
ジョーイの言葉に応えてもくれません。


   ヴゥゥ…

遠くから、飛行機の音がしました。
空に一つ、白い筋ができます。

「あの道を行けば、きっと、
 月にも火星にも行けるんだね。」

ジョーイは、空に向かって、小さな手を伸ばします。
精一杯背伸びしても、小さなジョーイでは、雲には届かないけれど、
それでも、木々を揺らして吹くやさしい風が、
ジョーイがお空へ登ってしまわないように、
そっとそっと、地球へ押し留めてくれました。










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