籠城追想





空があんまり青いから、
ガラス一枚で仕切られて、
別の世界があるみたいだと、
ぼんやり考え続けてた。

晴れた空は、どうして、
懐かしい笑い声なんかを降らすんだろう?




   かしゃん

あいつが、ブラインドにもたれかかる。
プラスチックと窓ガラスが立てた音も、
申し訳なさそうに、沈黙に沈んだ。


窓の外は、晴れた空。
俺達は、薄っぺらいプラスチックで囲まれた檻の中…


「いい天気だな。」

何でもなさそうにあいつが言って、
疲れた顔で笑った。

「世界一不健康そうなツラで言ったんじゃ、
 ダイナシだがな。」

「…ちがいねぇ。」

ふっと笑って、窓から離れ、
ソファに身をうずめる。

天気になんか、本当は関心ないってカオ。
でも、晴れた空には惹かれるように、
ぼんやりと、窓を眺めて。

「ブラインド開けるか?」

返事はわかっているから、
俺は、その場に立って、一歩も動かないまま、
煙草に火を点けながら言った。

黙ったまま、俯いてかぶりを振るあいつを
目の端でとらえながら、
白い煙を吐き出した。


「…笑い声が、聞こえる気がするから………」

「あ?」

俯いたまま、深刻そうな、
泣き出しそうな、情けない声。

「あいつの、さ。」

笑ったのは口元だけで、
他の全部が、泣くのを堪えている。
そんな顔で。

「くっせーセリフ。」

視線だけを上げて、あいつの顔を見てにやりと笑うと、
ちょっとだけ、安堵したように、
ため息のように笑ってた。



「たまには外出るか?」
「えー、めんどくせぇよ。」
「だから不健康なんだよ。」


じゃれあうように、二人で笑って、
逃げるように、閉じこめられて。

どうにもならないという言い訳に、
すがったり、苛立ったりしながら…

薄暗い部屋で、青空を眺めた俺達は、
あの日の、明るい笑い声を聞く。



   *****



あの子は、晴れた日によく笑った。
ハハハハハと、投げやりにカタカナの『ハ』を並べたような、
乾いた声で、笑い続けてた。

何が楽しいのかわからなかったけれど、
とにかく、気付けば腹を抱えて笑ってた。
その、カラカラの笑い声が、
なぜだか心強かったりした。



「強ぇオンナだよな、コイツは。」

あの子が眠ると、彼女の顔を見ながら、あいつはよくそう言った。
やけに静かな声。消えそうなつぶやき。

「好き勝手やってるだけだろ。」

認めたら、なんとなく弱音になりそうで、
なんでもないフリをして、そんなことを言ってみた。

「そこが強ぇんだよ。」

一瞬、真剣な目を向けて。

「何でも笑い飛ばしてさ。」

自嘲気味に笑うように、下を向いて立ち上がり、
片手だけを上げて、おやすみというと、
あいつは部屋を出た。

あいつが何を考えているのか、
わかるような気はするのに、
全然わからなくて。
もやもやした何かを抱えたまま、
あの子の毛布をかけ直し、俺も寝室へと引き上げた。


俺だけが、何もわかっていないような気がして、
なんだか焦って眠れなかった。

ただ、青空の下でカラカラの、彼女の笑い声が、
俺達を、何かから遠ざけているような、
そんなふうにだけ、なんとなく思っていた。



   *****



「君のためになら、僕は、
 この命さえ、喜んで差し出そう。」

バカが、ほざいた。
俺達は2人して、あの子の後ろで、
ぼけっと突っ立って、その様子を眺めていたいた。

こんなバカには、彼女はどうにもできないと知っていたから。


「あなたの命を差し出すというお美しい行為をなさるために、
 私のためという口実を貼り付けてくださるのね。」

極上の笑みで、あの子はいう。

「どうもありがとう。」


呆けたバカの顔と、あの絶対的な彼女の笑みは、
今でもはっきり思い出せる。

3人並んで、腹抱えて笑いながら、
真っ青な空の下を帰った日。

心の隅っこの焦りは、いつの間にか見えなくなっていた。



   *****



「あたしは、あなた達を裏切るね。」

ガラにもなくしんみりと彼女がつぶやく。
部屋の中は、嘘みたいに静まり返っていた。
あいつも、黙ってうつむいたまま。


「そう思うんなら、なんとかしろよ。」

自分の言葉の薄っぺらさを、嫌というほど思い知りながら、
吐き捨てるようにいうと、彼女は笑った。

「ははっ…そぉだね、なさけないねぇ…」


はははっ…と、もう一度彼女が笑って、
それっきり、部屋の中にはなんの音もしなかった。

彼女の笑い声は、相変わらずカラカラで、
でも、じとじとと耳にまとわりついた。



   *****



あの晩の、彼女の笑い声は、
次の朝には、カラカラに乾いて、蒸発した。

窓ガラス越しに見上げた空が、
バカにしたように彼女の笑い声を降らす。

ハハハハハ
ハハハハハ…


強い女だったと、
俺も、思う。

それ以上は、望まないほどに。
ただ、強く。
何もかも笑い飛ばして。



   *****



「ははっ。まぁ、気が向いたらそのうちな。
 今夜月でも出てりゃ考えるよ。」

あいつの、なんでもない笑い声が、
一瞬、あの子の声の乾きに似て…

「お前だって、人のこといえねぇと思うけどな?」
「…俺は、てめぇに付き合ってやってんだよ。」
「よくいうぜ。」
「はっ」

自嘲気味に笑って、タバコに火をつける。
顔を上げたとき、一瞬ぎくっとしたような、
あいつの顔が、見えた気がした。

ははははは…



   *****



俺達も、強くなっていくのかもしれない。
ただ一つ、あの空が降らす声に怯えながら。

薄っぺらいプラスチックで囲まれた、
薄暗い、狭い部屋で。
あの子の影を、ここに感じながら、
どこかに求めながら。

じゃれあうように、
逃げるように…

真っ青な空のあの世界から、
ガラス一枚、隔てたままで。






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