『思い出にだけある幸福』
ボクは、世界を描く。 ボクの憶えている、ボク達の世界を。 「カイ、こら。 またそんな落書きで紙を無駄にするっ。」 突然の声に、描いていた紙を慌ててお腹のあたりに隠すと、 クシャクシャと、紙のこすれる音と同時に、 微かに、ひどく嫌な音が微かに響いた。 紙が破れたんだ。 この世界の紙は、貴重品なくせにひどく脆い。 ボクは、紙が破れたせいで、 ボクだけが憶えている、あの元の世界が、 本当に、なくなってしまったような気持ちになって、 恨めしげにアヤを睨んだ。 「何よ、その顔は。文句あるの? あ、紙破れたんだ。 やっぱり無駄にしてるんじゃない。」 そういって、アヤは、 少しだけ不安そうに、ボクの様子を窺った。 ボクは、泣きそうな顔をしていたのかもしれない。 「………もういいよ。 どうせアヤだって、憶えてないんだろ?」 視線を落として、膝の上で紙を丁寧にのばしながら言ったから、 アヤには余計、泣いているように見えたかもしれないけれど、 ボクはどうしても、そんな風に見られていることを見るのが嫌だった。 「またそうやって… それで、今度は夢の世界のどこ?」 当然のように隣に座って、身を乗り出してくる。 ボクが逆側を向くと、アヤはボクの手元に手を伸ばしてきた。 振り払おうかと思った瞬間に、 ボクは、本当に泣いてしまいそうになって、 観念して、その紙をアヤに渡した。 ボクの描いた元の世界を、他の人達は笑い飛ばした。 そんなものが、実在するはずはないと、誰もが言った。 でも、アヤだけは、興味を持った。 ボクの絵を見て、これは?あれは?と、しつこいくらいに聞いてきた。 最初のうちは、ボクも、それが嬉しかった。 ボクは、憶えている限りの、 ボク達が元々いた世界を描いた。 ボクの家も、アヤの家も、 学校も、通学路も、公園も、 よく行くコンビニ、本屋、 ゲームセンター、遊園地… ボク達の世界に、元々あったものを、 ボクは、みんな描こうとした。 そのときは、他の人達全てが忘れてしまっていても、 ボクの絵を見て、アヤが思い出すなら、 それで十分な気がした。 でも、アヤは何にも思い出さなかった。 ボクの絵を見たアヤは、決まってこう言う。 「すてきな世界ね。」 「こんな所があったらいいね。」 「こんな家に住んでみたいね。」 「カイの描く世界に、行ってみたいよ。」 そう言って、アヤはいつも、楽しそうに笑った。 ボクにはそれが我慢できなかった。 アヤが、元々はアヤもそこにいたのだと、 それがアヤの世界でもあるのだと、 解ってくれないのが嫌だった。 元のボク達の世界で、 楽しいことがあった時と同じ顔で、 ボク達の世界を、夢だと言うアヤが嫌だった。 どうして、世界は変わってしまったんだろう? どうして、元の世界を、皆憶えていないんだろう? どうして… どうしてボクだけが、それを覚えているんだろう? 泣いている顔を見られたくなくて、 ボクは、持っていた紙をアヤに渡して席を立った。 アヤが声を掛けてきそうな気がして、 ボクは走ったけれど、 アヤも気まずかったのか、 ボクを呼び止める声は聞こえなかった。 (違う、違う、違う、 ボクは、こんなことをしたいんじゃない! こんな所にいたいんじゃない!!) どうしたらいいかわからないまま、 ボクは部屋に帰った。 他にどうしようもなくて、 残り少ない貴重な紙を取り出した。 他に何も思い出せなくて、 大きな丸と、その中の、青や白や緑や茶色を描いた。 色鉛筆は、もうずいぶん小さくなっていたけれど、 ボクは構わず、それを塗った。 ボク達の世界。 写真や模型でしか見たことのない。 丸い、青い、地球の絵を…