〜そうしてボクは、そのぬくもりを追い、熱にうかされてゆく…


 好きな人がいました。
 ボクを好きになってくれた人でした。
 ボクを好きだといってくれた人でした。
 ボクが好きだと想った人でした
 知らなかったあの熱を、ボクの中に作り出した人でした。
 そして、最後にボクを現実に戻した人でした…

優しい、いい人。
けれど、とても弱い人だったの。
もう、会うこともできないみたいだけれど、彼は彼で、傷ついているのでしょうね。
最後に送った手紙は、どう思われたのかしら…?
そんなことを気にしながら日々を過ごして…
でも、知っているの。
もう、私の道のりの上で、あの人が決定的な何かになることはないわ。

苦く笑って、逃げるように立ち上がる。
淋しそうで、でも、はっきりと胸を張って。
しっかりと、彼女はその足で立ち上がった。
「もういいのよ。」
終わったことだから…
彼女の目が、そういっている気がした。

ボクは、立ち上がって、彼女を追う。
カッカッと音を立てて歩く彼女を…
長い髪を左右に揺らし、まっすぐに前を見て、確かな足取りで歩く彼女を。

手にはバック。
彼女自身の荷物だけが入った、彼女のハンドバック。
足取りは、自信に満ちたように確実。
髪は自然に降ろされ、彼女が歩を進める度に揺れる。
彼女と、その持ち物。
ただそれだけで進んでいく彼女を、小走りに追いかける。

声をかけても、振り向いてもらえる気がしなかった。
周囲などお構いなしに進んでいく。
そんな絶対的な存在であるかのように彼女は見えた。
何もいわず、息づかいさえ聞こえず、ただ、まっすぐ進んでいく。
彼女という存在そのものが、そんなふうに見えた。

手を伸ばせば届く距離に近付いたとき、ボクは途方にくれた。
彼女の存在が、あまりに絶対的で。
触れることも、声をかけることすら、許されるのかと………

「…っあの………」
消え入るような声で、やっと彼女を呼び止めた。
弾む息は、ここまでの移動の疲労のためだろうか?
彼女に対しての、緊張のためだろうか?

振り向いた彼女が微笑む。
艶やかに。
華やかに。
自信に満ちた 顔。
満面の笑み…

「大丈夫。進めばいいわ。」

そうして彼女は、ボクに触れ、薄らいで、とけるように、消えていった………

 いい人だったよ。悪い人じゃない。
 でも、弱すぎたんだね。
 あの笑顔を思い浮かべながら、ボクは、苦く笑った。
 彼女…進もうとするボクを………

 大丈夫。進んでいけるよ。進もうとしているよ。
 淋しくなるとき、思い出すのは…
 せつなくて苦しいとき思い浮かべるのは…
 もう、あの人じゃないんだよ。

 変われるよ。
 進めるよ。
 あの人のいない世界。
 あの温もりがない世界。
 でも、生きていける。
 生きてはいけるのは、知っていたけれど。
 もっと苦しいと思ってた。
 だから、あの場所に留まりたかった。
 あの温もりに、いつまでもしがみついていたかった…

 でも、もう…
 苦く、でも心から、ボクは笑う。
 あの人とは、違う人がくれた笑顔。
 あの人とは、違う人を想うボク。

 そうしてボクは、あの人とは別の
 あの時、ボクの内に飛び込んだのとは別の
 ぬくもりに沈み
 そうしてボクは
 キミに惹かれ
 新しい、甘美な
 この熱に 浮かされてゆく…



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