旅立ち


『人の上に立つ身でありながら、いつまでそうしているつもりだ。』

白く広がる世界に埋もれるように、取り残されるように。
いくらか不自然に佇む町を振り返ると、
辛辣な父の言葉と、冷たくなった愛犬の静かな顔が浮かんだ。


「ダルさん…?」

いぶかしげに、というよりは、本当に町をでて良いのかと
確認するかのように、名を呼ばれる。

「あぁ、…行くぞ。」

気遣う視線を向け、立ち止まったままのシャルをそのままに、
ダルは再び、歩き始めた。


過去を振り払う。などというほど大げさなことではない。
ただ、不要なものから離れるだけだ。
今生の別れということにもならないだろう。

たかがほんの一握りの、ささやかに暮らす人々の上に立たせるために、
あの父は、自分からどれほどのものを奪おうというのか。
そう思い始めたのは、数年前からだったか。

何一つ失わなくても、手に入れられるものなど、いくらでもあるだろう。
抱えたものを、手放さなくとも、そこに辿り着くすべなど、いくらでもあるだろう。
自分には、その力がある。探し出す力も。手に入れる力も。

『ではまず、お父様を超えて、それを認めてもらわなくてはね?』

ふさぎ込んだままでいることを心配し、様子を見に来た母に、不満を吐露した。
少し、首を傾げ、のぞき込むようにしながら、確かに目を見たままで、
静かに微笑みかける母の、その言葉が背中を押した。

立ち止まったままで、得られるものなどない。
黙ったまま、奪われるに任せ、失っていく道理もない。


「…あ、はいっ」

慌てて返事をし、小走りにシャルが追いつく。
言いたいことがあるが、口に出せないでいる
といった表情だと思ったが、ダルは敢えて問わなかった。
その顔には、微かな不安も読みとれたからだ。
町を出るのが初めてというわけではないが、あてのない旅だ。
無理もないことだろう。
しかし、とりとめのない、憶測ばかりの問答をしても仕方がない。

「………見つかり、ますよね?」

沈黙に耐えられなくなったのか、おずおずとシャルが声をかけてきた。
今回旅立つきっかけ。さらわれたという、彼の許嫁とは、ダルは直接の面識はない。
その申し訳なさもあるのだろう。
今は、許嫁のことよりも、ダルの機嫌の方を気にしているようだ。

「みつけに、行くのだろう?」

振り返りもせずに、何のこともないように答える。
なんのあてもなく、根拠もないが、見つからないとは思わない。
見つからないはずは、ない。

「………はいっ。」

一瞬、呆気にとられたようにして、
それでも、安心したようなシャルの答えを後ろに聞きながら。
ダルは、ゆっくりと、確かな足取りで、もう振り返ることもなく進んで行く。
世界へ、自分の求める世界へ。求めるもののある世界へ…


父は、この小さな町に、こだわり続けるのだろう。
自分は、ここで終わるなどということで妥協などできない。
この足で、どこまでもゆくだろう。
この手で、手に入れてゆくだろう。

望む限りを。己の力で。この世界でさえも…



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