ただひとつこの手に持てるもの


 「手を、離してしまうのが怖いんです。」


なんとか泣くのをこらえながら、あたしは言った。
今まですぐ隣にいたあの人は、
どうして今、こんなにも遠いのだろう?


 でも、この手は、そんなにたくさんのものを持てはしない。
 この身体は、一度にいくつもの場所へは行けない。

 その手をとれば、あの手はつかめない。
 ここに残れば、あの場所へ辿り着くことはできない。


また、泣きそうになりながら、
それでもあたしは言い返す。


 「でも、あの子は笑った。」


反論になんてなっていない。
それでも、自分が信じ続けるために声に出したかった。

私達は、笑っていた。
それは、ほんとうだから。


 けれど、彼は、今はもう、あたしの行けない所にいる。
 けれどあたしは、今はもう、彼女の来られないところにいる。

 未来は、あの場所とは、違うところに向かっている。
 あたしは、彼等とは別の所へ向かっている。


それでも、あたし達が、一緒に笑っていたのも、ほんとうだから。

もういないあの人も、もう会えないあたしも、
全部、本当のことだから。ほんとうだったから。

あの人達の行く先も知らないまま。
あたしは、別の所で、また誰かと笑う。
何度も何度も、繰り返しても。

あたしの未来は、彼等とは別の所にある。
あたしが見ているのは、彼等とは別の空なのかもしれない。



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