若葉





    握り拳一つ。
  僕が持っていたのは、
   ただ、それだけ。





「私は、言葉を紡ぎ続ける。
 それが、私自身だから。
 例え何があったとしても、
 ただ、それだけよ?」

ボロボロの僕を介抱しながら、
いつものように姉さんは笑って言った。

膝の擦り傷に消毒が滲みる。
「…っ」
痛みに、思わず声を上げると、
姉さんは、本当に楽しそうに、
ころころと笑った。

「おんなじだよ。」

ふてくされて、そっぽを向いて、
姉さんとは目を合わせないまま、
僕はやっぱりいつものように言った。

「僕も、サナエを守るだけだ。」





僕と姉さんは、物心つく前からずっと一緒だった。
僕たちが本当の姉弟なのかなんてことは、
実のところ誰も知らないのだけれど、
それでも、僕たちはずっと一緒にいた。

僕の憶えている一番古い記憶は、
姉さんに手を引かれて歩く春の街。
暖かな陽気の中で、たくさんの人たちに
笑って挨拶をしながら、
楽しそうに歩く姉さんを、
手を引かれながら見上げた記憶。

僕たちは、ずっとそうやって、
楽しく暮らせると思ってた。



姉さんは、嘘をつかない人だった。
本当のことしか言わない人だった。
そして、いつの間にか、
本当のことを言い当てる人になった。

それがどういうことなのか、
僕にはよくわからないけれど、
「だって、見えるんだもの。」
と姉さんが言うのだから、
姉さんにはそれが見えるのだろう。

人の隠し事を、嘘を、忘れていたことを、
ふとしたときに言い当てる姉さんを、
周りの人たちは、やがて遠避けていった。

「でも…だって、本当のことでしょう?」

姉さんの言ったことを否定しようとする人に、
少し首を傾げるようにして姉さんはそう言う。
相手は言葉に詰まり、何もいわずに去っていく。

そうして、姉さんの周りからは、
いつの間にか親しい人がいなくなった。



最初に僕達の家に投げ込まれた石ころは、
窓ガラスと花瓶を割って、
硝子の破片と水と花を
まき散らしながら、床に落ちた。
外からは、聞き覚えのある
何人かの声が聞こえた気がする。

家の奥に逃げようとする僕に、
姉さんは慌てた様子もなく言った。

「次に石が投げ込まれるのはあっち側だから、
 今なら玄関から外にでられるわ。
 中に隠っても仕方がないでしょう?」

確かに、外の話し声は
悪質な罵声に変わりながら移動している。
魔女だ、化け物だと姉さんを罵る声に。
僕は寒気を覚えたけれど、
当の姉さんは、平気な顔をしていた。
少なくとも、ボクにはそう見えた。

姉さんの目は、迷い無く真っ直ぐに、
前を見つめていた。


「ずいぶんなことしてくれるのね。
 …ユウタと、ヒロムと、ダイキかしら?」

玄関からでて、彼等の背後に回った姉さんは、
軽く腕を組みながら悠然と言った。
すっぽりと覆面をしている彼等の正体は
僕には分からなかったけれど、
姉さんの声に3人の動きが止まった。

「窓に花瓶に写真立て、人形達に縫いぐるみ達、
 クローゼットにも傷が付いたわね。
 どうしてくれるの?」

おそるおそるといった様子で、
3人が姉さんの方を振り向く。

「私があなた達に本当のことを言ったから、
 私のことが気持ち悪くなったのね。
 それぞれの思うところを話しているうちに、
 私が魔女だってコトになったんだ?」

3人をじっと見据えながら、姉さんが言う。
僕にはなんのことだかわからない。

「おかしいのね?私が悪者のはずなのに、
 わざわざそんなもので顔を隠してくるなんて。」
  3人の内の一人の足がふるえ出す。
彼等は何もいわず、ぴくりとも動かない。

「そんなに本当のことを言われたのが悔しかった?
 あなた達が私をどう思おうと勝手だけれど、
 これはあんまり酷いんじゃない?」

  息を飲む音が、聞こえた気がした。
姉さんは、そのまま続ける。

「っていうか、この程度の幼稚なイタズラで、
 正義の味方とか気取っちゃうの?
 情けないのね。そんなことしたからって、
 ユカはあんた達に惚れたりなんかしないし、
 アキラはあんた達を見直しやしないわよ?」

姉さんは、まっすぐに3人を見据えている。
ボクには何がなんだかわからない。
3人は、誰からともなく膝を折り、
その場に座り込んだ。

「私には、見えるもの。」

最後にただそれだけ言った姉さんは、
何もかもがどうでもいいみたいに、
ただ、笑った。



「ねぇ、ワカバ。」

姉さんの声に顔を上げる。
膝を抱えてベッドの上に座っている姉さんが、
顔だけこちらに向けて僕を見ている。
いや、僕の方に顔を向けているけれど、
僕を見てはいない。何も、見てはいない。

「あなたは、私から離れられるわ。
 あなただけは、私から離れられるわ。」

ぴくりとも動かない表情のまま、姉さんが言った。
突き放すように、僕にそっと言った。

「…馬鹿言ってないで、さっさと寝ろよ。」

俯いて、やっとそう言うと、
姉さんは、ちょっと笑って、
「そうね。」とだけ言った。

首だけ動かして、顔をスカートに埋める気配がした。
泣いているのかな。と、ほんの少しだけ思ったけれど、
すぐに寝息が聞こえて、なんだか、すごくほっとした。



次に石ころが家の窓を割ったときには、
もう僕も覚悟ができていた。
姉さんを振り返ることもせず、
家を飛び出す。

今度の奴等は、覆面はしていなかったけれど、
僕が出ていくと、すぐに逃げ出した。

家の中に戻ると、
姉さんはもう割れたガラスを片付けていて、
「お疲れさま」とだけ、僕に言った。



姉さんへの嫌がらせは、
だんだんエスカレートしていった。

ボクの知っている顔、知らない顔、
誰なのかもわからない顔を隠した奴。
色々な奴がいた気がするけれど、
僕はそんなことは見ていなかった。

姉さんを守るために。
僕が相手に殴りかかるようになるまで、
そうかからなかった。

姉さんを守るために。
外で、わずかな音がするだけでも、
僕は外に飛び出した。

姉さんはいつでも、外から戻った僕を、
何にもなかったかのように迎えた。

怪我をしたときには手当の用意。
寒い日には温かいお茶が、
家に入ると必ず用意されていた。

姉さんには、何もかもが見えているのだろう。
でも、僕には、僕自身以上のものはない。
僕にできることで、姉さんを守るしかない。





「そうね。ワカバは私を守ってくれるわ。
 私には、見えるもの。」

軽く胸に手を当てて、
何かを感じ、探るようにしながら、
静かにそう言ってから、
文句なしに嬉しそうに、にっこり笑った。





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